藤田 恵美(ふじた えみ、1963年5月15日 - ): 東京都清瀬市出身、 ヴォーカルと作詞擔當 身長160cm、A型、最終學歴:高等學校卒業(NHK學園 ※通信制) 藤田 隆二(ふじた りゅうじ、1963年11月7日 - ): 東京都板橋區出身、 ギター等と作曲擔當 身長180cm、B型、最終學歴:高等學校卒業 小簡介 ル・クプル (Le Couple 仏語で「夫婦」) は、日本の音楽ユニット。1990年結成。 當時は、藤田恵美、藤田隆二の夫婦によるユニットであったが、2005年活動休止。2007年2月に正式に離婚[1]。藤田恵美は「藤田恵美」、「ル・クプル 藤田恵美」、「ルクプル 藤田恵美」またはEmiで単獨での活動をしている。藤田隆二は「藤田隆二」または「ルクプル 藤田隆二」としてギター教室を開いている。 大事件 藤田恵美は幼稚園の時に劇団ひまわりに入り、小學校の時からドラマの端役で出演するなど子役として蕓能界で活動していた。コーラスグループ「ひまわりキティーズ」に參加し、左卜全や若水ヤエ子の楽曲でコーラスを務めた。演歌歌手としてデビューするが売れずに1978年に引退。ブルーグラス、カントリー音楽に出會い、東京・新大塚で不動産屋に勤める傍ら、アマチュア歌手としてライブハウスで活動を続けた。 藤田隆二は中學2年の時にビートルズの影響を受けギターを始めた。19歳の頃からカントリーバンドのベーシストとして活動。 21歳の時、當時新宿にあったライブハウス「ウィッシュボン」の箱バン(※ライブハウス専屬バンドのこと)のメンバーに加入。ここで藤田恵美と出會った。 1990年に結婚。結婚後、一時音楽活動を斷念するが、3年ほどして夫婦の趣味として再開しオリジナル曲を作り始めた。都內のライブハウスに出演中の所を事務所のチーフマネージャーにスカウトされ、ル・クプルとしてデビューすることになった。 1994年にモコ・ビーバー・オリーブ(ザ・パンチ・パンチ・パンチパーソナリティ三人娘)のカバー曲「海の底でうたう唄」でデビュー。1995年10月から3rdシングル「7月の感傷」のプロモーションの一環として全國の有線放送所をワゴン車で回るキャンペーンを敢行し、9ヶ月かけて全國631ヶ所の有線放送所を完全走破した。 1997年に発売した5thシングル「ひだまりの詩」は、テレビドラマ「ひとつ屋根の下2」の挿入歌になり、180萬枚[1]の大ヒットを記録。 2005年にル・クプルの活動を休止。2007年2月初旬に離婚屆を提出して正式に離婚した。 藤田恵美は自動車運転免許証を持っていない。また、泳げない。